頭の中の散歩道

今でも時々開いたりするのですけど、高校生の時に書いた『自戒のメモ』が在ったりします。

多分それが今回のホームページ作成の動機なのかも知れません。

他の枝道でも触れたりしていますが、少々頭でっかちだった高校時代・・・・

"今"という時の中で、机の引き出しの中に在る、外形はボロボロに古ぼけた赤い表紙の小さなメモ帳。

"今"でも色褪せる事の無い過去を内包した『自戒のメモ』と書かれたメモ帳。

その中に綴られた箇条書きの中に在る3行の言葉が過去の自分を戒めています。

「君は何時だって頭の中を散歩している。

でも、見給え!

君の足は其処から一歩も踏み出しちゃいない」

過去の自分を・・・・と書いたのですが、その言葉は追いかけて来て "今"の自分をも戒めています。

認める事に忸怩たる思いは在りますが、何も変わっていないのです。

大好きな「ボブ・ディラン」の『My Back page』の様な感慨が持てる人生だったら素敵なのにと思い乍ら。

趣味は浅いけれども広いと思います。

絵を描く事が好きで、時々描いて楽しんでいます。

ギターが好きで、今でも弾き語りを楽しんでいます。

ピアノを弾いている時が一番の楽しみだったりしていました。

(グランド・ピアノだった為に、引っ越しの都合で手放してしまいましたけど)

パソコンで絵を描いたり、iPhoneの着信音を自作して楽しんだりしています。

映画も、昔、私的データー・ベースを作ったりした為に役名まで言える程に楽しんでいます。

読書も大好きで一時期は背丈位の本棚が4個程並ぶ位、色々読んで楽しんでいます。

(これも引っ越しの時に殆ど処分してしまったのですが・・・)

音楽も、以前は、演歌以外のジャンルはクラシックでもジャズでもロックでも周囲の人が 私に訊けば判ると頼られた位、何でも楽しんでいます。

(パソコンで何でも調べられる現在は、知識は無用の長物と化していますけども)

・・・・・・・・と、「楽しんでいます」の言葉で止まる事ばかりです。

投稿や発表などとは無縁で、自分だけの楽しみが守備範囲なのです。

全て、外側にアプローチが出来る程の実力が無いという事も理由の要因でしょうね。

と、いうより、たった一つの趣味しか無くても、磨いて、掘り下げて、外に向かってアピール出来たり 働きかけたり出来る実力を!・・・・という努力まではしなかったという事ですか。

そして、それで満足しているという事が一番の原因でしょうか。

今回の「ホームページ作成」は、作る事自体は今までの延長上にあります。

今までの自分なら、公開出来る事が判った時点で満足し、(今度は、雰囲気の違うレイアウトを作ってみようかな?)なんて、公開される事の無い処で、作る楽しみだけに専念して、外へ向かっての公開などは思いもよらなかった筈です。

まだ、心の何処かで(課題だから、作ったけど・・・あまり他人の目に触れないで欲しいな)という 気後れが在ったりします。

他の枝道で触れる最初の「ホームページ作成のコンセプト」とは真逆の事を思ったりしてはいるのだから往生際が悪いとも言えます。

20歳位の時に読んだ本に「ジョルジュ・バタイユ」という人の本が在りました。

その一冊の本の出会いから、多分、以降の自分の半分が形成された様な気がします。

最初に本屋でその本を手に取ったのは『眼球譚』という奇妙な』題名と、描かれていた挿絵が気になったからなのでした。 フランスの思想家、作家などという紹介文の中の「シュールレアリスム」という言葉が、誘因だったのかも知れません。

その頃、シュールレアリスムの画家「サルバドーレ・ダリ」の絵に心酔していた自分にとって興味を惹く言葉だったのです。

その後、「ジョルジュ・バタイユ」を根幹に次々と自分の感性を刺激する根が広がり、茎や、葉や、花となって脳の中に棲みついてしまいました。

何処から、誰から話せば良いのか判らない程複雑に絡み合った相関図の様相を呈しています。

例えば「ジョルジュ・バタイユ」の『マダム・エドワルダ』という文庫本の装丁は、表紙や挿絵が「金子國義」さんの絵で飾られていました。

「金子國義」さんの描く少女は「四谷シモン」さんによって人形として表現され、「四谷シモン」さんは「ハンス・ベルメール」の 影響を受けて「ベルメール」的な球体関節人形を製作しています。

その「ハンス・ベルメール」は「ジョルジュ・バタイユ」の著作の挿絵を手掛けている。

最初に戻ってしまいました・・・・・と、いった具合なのです。

まるで「ブウウーーーンンン」で始まり「ブウウーーーンンン」で終わる「夢野久作」さんの『ドグラ・マグラ』の世界みたいではありませんか。

「ジョルジュ・バタイユ」の『エロティシズム』という本を邦訳した「澁澤龍彦」さんは「金子國義」さんや「四谷シモン」さんとも交流が深く、 同時に劇団「状況劇場」の「唐十郎」さんや劇団「天井桟敷」の「寺山修司」さんとも関係が深い・・・。

その「唐十郎」さんの 劇団に所属していたのが「四谷シモン」さんで、ポスターを描いていたのが「金子國義」さんだったり「横尾忠則」さんだったりします。

また、「横尾忠則」さんは「寺山修司」さんの『天井桟敷』に参加していて、以前に『スタジオ・イルフィル』で仲間だった「宇野亜喜良」さんも 「天井桟敷」のポスターや舞台装置を手掛けていたりします。

こうして、複雑に絡み合う相関図の様相の中、私の感性は掲げた全ての人達にシンクロしています。

初めに知った人から、次へ、次へと導き出されて、同じモノに”美”を感じたりするのです。

「類は友を呼ぶ」・・・このホームページが、類として友を呼ぶ事が出来たら素敵なのですけど。

さて、やっと「散歩の小路」で触れる「デカルト」の"レンガ"をアナタの頭に置くために、私の足が一歩踏み出そうとしています。

ある日、引き出しを開けて、メモ帳を開いたら、3行の言葉が消えていたりして・・・ナンテね。

初めてのホーム・ページ・・・不都合な記事や絵画などを載せてしまう事などがあるかも知れません・・・

お気づきの点、他にもご意見などが御座いましたら掲示板、或いは次のメール・アドレスにて承りますので宜しくお願いいたします。

atama@sanpo.moo.jp

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