音楽の小路

60年代から触れた音楽

「ROCK?・・・大好きですよ」と応えると、大体は「え〜!ROCK聴くんですかぁ?!」・・・何と答えたら良いんでしょうね?

(あのネ、アナタよりずっと永く「ROCK」と付き合ってますけど・何か?)口には出しませんけどね。

よく、「BEATLESはリアルタイムで体験したよ」と自慢気に言う自分と同世代の人の話を「ムカツク」という若者が居たりします。

そうでしょうね。

貴重な体験は羨ましいだろうし、聞かされても悔しいだけですものね。

どんなに頑張っても、その体験は出来ない訳ですから自慢されたところで先へは進まない話です。

だから、音楽を語るのに、ジェネレーション毎の位置づけも、特定の個人的な自慢話もウンザリします。

若い頃にも、親が聴いていた「民謡」「浪曲」「詩吟」「歌謡曲」なんかも違和感無く楽めた自分は この年(え・・・と、質問は受け付けておりませんー何処かの枝道でバレバレですけどー)になっても何でも在りで 楽しんでます。

そうは言っても、アイドル系は耳を通り抜けていくのですが・・・・。「AKB48」や「少女時代」などという現在流行っている曲は、「MTV」の様な音楽番組をかけっぱなしにしていたりするので、日に何度も耳にするうちに馴染んだりはしますが。

曲自体は好きなのもありますが、売り込もうという事でプロジェクトがしっかりしている訳だから当然でしょうね。

別に彼女たちでなくても、ヒットは約束された曲だとは思いますが、只、彼女たちの存在が無かったら生まれなかった曲な訳ですから、生まれる曲の為には必要な存在という事でしょうか。

ずっと「ラップ」や「ヒップ・ポップ」は一寸苦手かな?なんて思っていたら「SWEET BOX」(クラシックとヒップポップの融合という解説文が在りました)の「ジェイド」の歌い方が心地よくて好きになり、ずっと聴いていまいた。

それで、ラップ系にも耳馴染んだらしく、最近の自分の音楽環境は、「lecca」が列車内で聴く定番となったりしています。

CDがジャンル的には「レゲエ」のコーナーに在ったりしますが・・・・その辺りのジャンル分けの意味はよく解りません。

自分の中では、「レゲエ」というのは(ン・チャカ、ン・チャカ)のリズム名の事で、大好きな「ボブ・マーリー」や 「ジミー・クリフ」に代表される音楽だと思っていたんですけど。

でも、ジャンル分けなどはどうでも良い話で、矢っ張り「lecca」の歌声や、歌い方、歌詞が大好きですね。

因みに「佐野元春」が日本における「ヒップポップ」の先駆者、と、音楽番組で紹介していました。

デビューからずっと好きでいるので「ヒップ・ポップ」も好きだという事になるんでしょうかねぇ? ・・・・・と、この枝道では私の独断と偏見と変見に因る独白(モノローグ)が続く予感が・・・・・・・。

ともあれ、好きなアーチストは沢山居るのですが、羅列をしていたら、それだけで頁が一杯になってしまいます。

取り敢えずは、私が是非とも聴いて貰いたいアーチストを少しだけ書き出してみようかと書き出しました。

有名な人が抜けているのは、単に(今、思い付かない)とか(特に書き出す事もないかなぁ)とファジーな感覚で書き連ねていたりしているせいです。

私の頭の中の散歩道〜音楽の小路へようこそ。

BEATLES

BEATLESのこのラベルを見て、懐かしい!と思うのは同世代の人なのでしょうね。

このアルバム自体はCD時代の現在に存在しないのですから。

ラベルも日本版オリジナルレコードのジャケットに近いモノを作成しました。

BEATLES以後、彼らの影響を受けていないアーチストは殆ど居ないのではないのでしょうか?

それは、現在自分に影響を与えているアーチストが、BEATLESの影響を受けて育ったという2次的、3次的な意味も含めてです。

或いは、反発で、敢えて聴かない等という人も居たりしますが、そういう対象に成り得る程、影響は大きいのだと思います。

この頃以前は「エルビス・プレスリー」や「コニー・フランシス」などというソロアーチストが活躍していましたが、BEATLES以降はグループが多くなり、音楽がどんどん変化し始めます。

60年代に、自分の「青春」といわれる時代を過ごした事は、自慢話が出来るなどという意味では全くなく、でも、確かに素晴らしい体験で幸運だった事は間違いありません。

小さい頃に、遊びに行った友人の家に「蓄音機」なるモノが在りました。

四角い本体の箱から突き出たハンドルを回して動力とさせ、SPという78回転のレコード盤をターンテーブルに載せ、毛糸の編み棒位の太さの針を、慎重に高回転の盤の上に置く。

やがて、甲高い音がチリチリと雑音を伴って、ペン立てを大きくした様なラッパから流れ出ます。

高校を卒業して直ぐに、給料の3倍もするステレオを買った時には、その蓄音機は懐古の中で「昔はこんなんだったんだぁ」 と笑う対象になっていました。

LPアルバムとかEPシングルという33回転や45回転のレコード盤はSP盤よりもかなり軽く、薄くなっています

動力は電気で、針先も、指先にチョンと乗る位小さくなり、アームが自動で任意の場所まで移動してゆっくりと沈み込む、という仕様に成りました。

私自身は自分で針を下ろす瞬間が好きだったので、オートをマニュアルに切り替 えたりしていましたのですけど。

そうして、その時には最先端だった高価なステレオ・セットも、CD・DVD や「ブルーレイ」時代の今は「昔はこなんだったんだぁ」と言われてしまうのですね。

日進月歩はその時代の話で、その後は加速度的な進行で分進時歩、秒進分歩の感が在ります。

でも、BEATLESは何時までも新しい!と感じるのは私だけでしょうか?

音楽雑感

こうして、60年代からの記述をしている最中に「デイビージョーンズ」の訃報がありました。

「モンキーズ」のメンバーで、一番若いボーカリストでした。

当時、BEATLESゾッコンの自分にとって、リバプール・サウンズなどのイギリスが席巻し始めた音楽界で アメリカの威信をかけて最高のプロジェクトを組んで売り出しにかかった「モンキーズ」はそれ程好きではなかった。

仕組まれたアイドルという反発でしたね。

でも、そういう感覚は狭量だったと、今は、そうした音楽以外の雑音を抜きに音楽そのものを楽しもうとの反省材料になっていますが・・・

後年、改めて聴いた「モンキーズ」は、最高のスタッフが創り上げた偶像だっただけの事がある素晴らしい曲が多かったと 素直に思います。

中でも、デイビーが歌う「I wana be flee」という曲は今も切なく心に残っています。

忌野清志郎も歌っている「Day dream believer」と、共に、時々ギターで歌ったりする今でも大好きな曲です。

その時期に日本で平行して流行っていた音楽に(私の世界だけだったら、ゴメンなさい!)

「サンレモ音楽祭」が有名な「カンツォーネ」の国、イタリアの「ジリオラ・チンクェッティ」が次々とヒットを飛ばし「ボビー・ソロ」「ミーナ」などとイタリア勢がコンスタントに ヒット曲を出していました。

同じ頃にまた、フランスも活気がありました。

その頃のテレビで「シルビー・バルタン」のレコードCMを観て、それが映画の主題歌と知り 、そのシーンが観たくて「アイドルを探せ」という映画を何度も観に行ったものです。

その映画に、彼女と同じく、歌手本人として出演していたのは「シャルル・アズナブール」という シャンソン界の大御所だと知ったのは音楽雑誌に因ってです。

ずっと好きで聴いていた「エルビス・コステロ」が、久しぶりの大ヒットをさせて嬉しくなった「SHE」という曲は、 私は観ていないのですが「ノッティングヒルの恋人達」という映画の主題歌らしく、それは「アズナブール」の曲だったりします。

音楽史的な記述は本意ではないのですが、こうして一つのキーワードから次々と広がるきっかけになるとイイなというのがこのホームページの願いなのですけどね。

心象風景の音楽たち

途中で転調したり、思いがけない効果で驚かせられる曲が大好きです。

「ドアーズ」の「ハロー・アイ・ラブ・ユー」という曲には、一瞬音が止まると、キューンと下降して、亦、上昇するというフレーズがあります。

その刹那、とてつもない不安と安心が交差して目が眩んだ様な錯覚に陥ったりするのです。

「チャイコフスキー」の「1812年」という序曲も同じような錯覚を覚えます。

途中でガラリと姿を変える旋律・・・・

本来は、ロシア軍がナポレオン率いるフランス軍に攻勢になった状況を表現しているという解釈なのだそうですが、段階的に高くなっていく管楽器の響きが、私には透明の階段が目の前に次々と静かに現れ、音に導かれて一段一段上がって行くと、上りつめた目の前に現れる情景が、流れる様に奏でられるストリングスの音で、次第に姿を描き換えられて、楽園の様な風景が頭の中に広がっていく様に感じます。

同じ様な感慨を与えてくれたのはプログレッシッブ・ロックというジャンルのバンド達。

中でも、札幌公演を見に行く程のめり込んだ「ピンクフロイド」の初期のアルバム『原子心母」は圧巻です。

23分という長さの曲も、頭脳集団と呼ばれた「ヒプノシス」が手がけたアルバムジャケットも衝撃的でした。

札幌公演の時には、アルバム「おせっかい」からの曲がメインで「吹けよ風、呼べよ嵐」という曲がシングルヒットしていた時でした。

「原子心母」と同じ様に23分位の大曲「エコーズ」が、設置されたスピーカーから360度グルグルと周り乍ら奏でられ、度肝を抜かれたものです。

箱根公演では屋外ステージでの「吹けよ風、呼べよ嵐」の演奏の時に、「本当に嵐になった」という伝説も残っています。

そんな「ピンクフロイド」の思い出の中に・・・・

この頃、幼かった娘の為に、目覚めの音楽として「モア」というアルバムから、小鳥の囀りで始まる静かで幻想的な 曲を毎朝かけてあげる、という優しい父親でした。

娘が中学生か、高校生の時に、その話をすると・・・・

「そ〜お??私の記憶では、毎朝突然「ア〜アー・アー!!」って雄叫びで起こされた様な気がするよ」との事。

それは「ロバート・プラント」の甲高い、ターザンの様な叫び声がイントロの「移民の歌」・・「レッド・ツェッペリン」の 曲を指しています。

バリバリのハード・ロックです!。

え?・・・ヤ・・・確かに「ツェッペリン」にも傾倒してましたよ、同時期に・・・ハイ、確かに。

でも、それが確かなら、スヤスヤ眠っていたところを、イキナリ棍棒で叩き起こされたという印象な訳ですよ。

こうして、永い間、頭の中に住み着いて、安穏と暮らしていた「優しい父親というイメージ」は 「頭の中の散歩道」から退場の運びとなりました。

脇道に逸れてしまいましたね・・・・

札幌公演といえば、デビューアルバムですっかり虜になった「クイーン」も観に行ったのですが、もう、 「フレディ・マーキュリー」のライブは観られないんですね・・・。

ドラマチックな構成の曲も「ブライアン・メイ」のギターも、何より「フレディー」の歌唱が大好きだったのに。

「ボヘミアン・ラプソデイ」は前述の曲と同じ様に、突然、違う世界に連れて行かれた様な気分にさせられて定期的に聴きたなる「マイ・フェバリッツ・ソングス」の一曲です。

映画「地獄の黙示録」で効果的に使われた「ワーグナー」の「ワルキューレの騎行」と同じく、印象的に使われたのが 「ドアーズ」の「ジ・エンド」という曲でした。

最初に「ハロー・アイラブ・ユー」を取り上げましたが、「タッチ・ミー」とか、ポップス的なこの2曲が寧ろ例外で 独特の危うさを感じる曲が多い伝説のグループです。

ボーカル「ジム・モリソン」の、時には気怠く、時には怒りをぶつける様に激しく歌う声やスタイルが心を捉えます。

「ジ・エンド」は精神疾患患者の精神安定効果があるという事で色々な施設で実績を上げていると聞きます。

歌詞は、可成り危ないと思うのですが・・・・大丈夫なんで・・・・しょうかね? 「ドアーズ」・・・・若し、ご存知なければ、是非是非、聴いてみて下さい。

「ドアーズ」に始まり「ドアーズ」でドアを閉めるこの章でした。

蛇足の道草

アイフォンをお持ちですか?

では、「Garage Band」というアップルのアプリソフトはお持ちですか?

最近のアップルのパソコンでは、最初から組み込まれているのですけど。

それが、携帯アプリとして発売されました。

現在、凝りまくっているのです。

ギター・ベース・ドラム・キーボード等の音源が在るというのは珍しくありません。

でも、例えばギターだけで言っても、チョーキングが自在というのが嬉しいアプリです。

何より嬉しいのがスケールで演奏できる事ですね。

音源をギターのHard Rockにして、スケールを「マイナー・ペンタトニック」

これで、触った指を上下にスライドさせるだけで「エリック・クラプトン」の「レイラ」の有名なオープニングフレーズが簡単に弾けてしまいます。

スケールを「マイナー・ブルース」にすると「ディープ・パープル」の「スモーク・オン・ザ・ウオーター」というこれも有名なオープニングフレーズが弾けたりします。

その後は好き勝手に指をスライドさせたりチョーキングを織り込むだけで「イングヴェイ・マルムスティーン」も真っ青な超絶速弾きのアドリブが出来たりします。

スケール上なので音に制約は有りますが、逆に、外れた音は無いので安心して奏でられます。

余りにも楽しいアプリだったものですから、まだ知らないという人に、お勧め!というだけの道草でした。

音楽の小路の終わりに

昔から、その時期には、食い尽くすまで位の勢いで、そのジャンルを聴きまくるという癖が在ります。

例えば、一口に「クラシック」といっても一括りは出来ません。

古典、バロック、現代音楽等々、それが更に交響曲、協奏曲等々、それが更に弦・管等など・・・・ 枝葉まで一通り探ってゆきます。

同じ様に、「ジャズ」と言ってもブルースやビバップ、モダンジャズ、ディキシーランド、スイング等々

ロック、フォーク、フォルクローレ然りです。

「クラシック」に夢中になっていた時には音楽は「バッハ」に始まり「バッハ」に終わる等という記述を目にして「クラシック」こそが音楽なのだ!

それが、「ジャズ」に凝り始めると途端に(お堅い歴史に縛られたクラシックじゃこういう表現は出来ないよなー)等と不協和音やブルーノートスケールに痺れたり していました。

好きで聴いていた「モダンジャズ」から「クロスオーバー」等と言われるロックや他ジャンルの融合が流行った時期があって(「リー・リトナー」や「ラリー・カールトン」といったギタリストが活躍した時期です。)馴染めない私は、再び「クラシック」へ帰ります。

そうして判ったのです。

「クラシック」でも不協和音をかき鳴らす曲があったり、「ジャズ」の独壇場と勝手に思っていた即興演奏は「モーツアルト」が好んでよく演奏したりしていた事などをです。

結局は自分が無知だったというだけの話でした。

若い頃には(私にだって在ったんですってば!)、粋がって、独りよがりの決め付けをする事があったりします。

だから、知識が膨らんだという事もあるので、悪い事ばかりでは無いのですがその事が範囲を狭めたりもします。

今は只、楽しむ事にしています。

音楽は心を豊にしてくれますからね。

ハードボイルド小説の一人者「レイモン・チャンドラー」の余りにも有名な言葉があります。

「男はタフでなければ生きられない、優しく無ければ生きている価値が無い」

「男は」でなくてもイイのです、(どうやら最近は女性の方がタフになったという実感があるので・・・)

私の中では「人は・・・」と置き換えて考えてきました。

「タフ」で生き残った人達が、定年などで「趣味も無いし・・・何もする事が無くて・・・」と嘆くのを 聞いたりすると虚しい気分にさせられます。

私はキリギリスなのですね?でも、「アリ」さんに頼らずに生き残れたキリギリス・・・

家族や周囲には心配や苦労をかけ続けだったのかも知れませんが、自分は楽しんで生きています。

所謂、情操教育という環境がこの国には根付いていない気がしますね。

生きるためだけの配慮はそれなりに成されているかも知れませんが・・・。

幸い、私には音楽・芸術・・・「生きるため」には必要で無いかも知れないけれど「生きているため」には 必要と思われる環境が在りました。

中でも音楽の力は計り知れないモノが在ると思います。

(自分の気持ちを言い当てている)といった同調だったり、悲しい筈の歌でさえ、傷口を優しく舐めてくれていると感じたりする 癒やしだったり、励ましだったり、勇気を得たり、只、単純に楽しくさせてくれたりと。

「何もする事が無くて・・・」と嘆く人だって好きな歌の一つや二つあると思うのです。

それを、特に、現代の情報社会に照らし合わせたりすると、「古い」だの「似合わない」だのと余分な感情が涌き出たりする かも知れません。

あらら?対象が同世代に偏り始めたでしょうか?

この歳になると、そういう嘆きを聞く機会も多いもので・・・・

でもね。

好きか嫌いかですよ。

好きなら、理屈だの、情報だのとは無関係に楽しめばイイのです。

音楽とは「音」を「楽」しむと書くのですから。

この頁の最初に戻る